明治初年より田島で焼かれていた鴫山萬古の基本文献と作品の所在が判明したのは平成2年のことでした。これらの成果は、『東北の陶磁史』(福島県立博物館)や『田島町史』にその一部を公表しただけであったため、民俗資料館の移転に合わせて報告書の刊行と企画展が計画されました。企画展は平成6年9月10日より10月25日まで開催され、それに合わせて本書が刊行されました。また水谷英三氏の記念講演「伊勢の萬古」、二本松井上善夫氏の型抜き実演がありました。B5版 口絵24P 本文120P
丸一神楽 その源流は二本松といわれていますが、昭和30年代には只見町梁取を拠点として、梁取神楽・三左右衛門神楽などという名で南会津各地で活動していたようです。小生は幼い頃に、夕刻田島町役場の玄関でこの神楽を見ました。おかめ ひょっとこの掛け合い、手妻、鍾馗の舞などなどでした。現在は柳津に拠点を移して各地で活躍しています。(南会津御蔵入交流館 文化交流館ホ-ル講演のスナッブより)
大正4年夏、柳田国男はイギリス人R・スコット夫妻を案内して那須駅から三斗小屋
経て田島に入った。同行者には後の印度大使那須皓がいた。田島では祇園祭を見学して見世物小屋に入り、屋台歌舞伎を見て、宮本の拝殿での七行器の行事を具に見て、中町の「丸山館」宿泊した。また南会津郡役所の二階で柳田国男の講演があった。
右下の集合写真はその時の記念写真である。町内今生の渡部文一氏宅にはその時の寄せ書き(扇面)が残されている。扇面左側には、「大正四年七月十九日記念 柳田国男 那須皓」とあり、右側にはR・スコットの署名と聖書の一節がラテン語で書かれている。写真右側最後列の右から四人目が筆者の祖父で、当時田島尋常小学校に奉職していた。
R・スコットは帰国後「日本の神髄」なる著書を刊行するが、その中には田島を訪れた時の見聞が詳細に書かれており、宿舎の丸山館前で撮影された屋台の写真一葉が掲載されている(右上)。田島は昭和9年と21年の大火で家並も屋台も焼失しており、今となっては貴重な写真である。最前列、右から3人目が当時貴族院書記の柳田国男、中央がスコット夫妻、左隣りが那須皓、両脇に郡長・警察署長・田島町長がみえる。
参考 「南会津郷土研究史」南山叢書Ⅰ
会津の民話を語る山田登志美さん
(福島県立博物館にて)
喜多方市(旧塩川町)在住の山田登志美さんは東北を代表する民話の語り手です。最初に先生にお会いしたのは、確かうつくしま未来博のからくり民話茶屋だと記憶しています。以後交流を深め、田島にお出でいただいて、民話100話以上を収録させていただいております。平成22年の「会津の良寛さま 如活物語」出版の際には、特にお願いして「如活物語」(大川弘次郎監修)を語っていただきました。上の写真をクリックすれば、山田先生の「如活物語」が視聴できます。
今はなき保城木地集落の貴重な写真です。
上の写真は昭和20年頃の子供たちのスキ-で遊ぶ様子で、写真の所有者は一人だけ後を向いている女の子です。下は、小椋長四郎一家の集合写真で、写真の裏に「大正三年 三十歳」とあります。
(芳賀茂子氏提供)
樋口弘一のプロフィール
皆様よりお力添えを賜わり、まことにありがとうございます。深く感謝を申し上げます
昭和27年【1952】田島町【南会津町】に生まれる。
稼業の傍ら、若くして考古学・民俗学・歴史学を学び、また郷土芸能の保存・研究にも情熱を傾け、
福島県指定無形民俗文化財 阿佐野万歳保存会 会津支部長で、会津万歳の数少ない伝承者でもある。
現在 日本考古学協会会員 南会津芸能連合会代表 田島郷土史研究会理事
元福島県立博物館資料調査員
北斗出版 南山叢書刊行会代表。
主な著書には、
『企画展 東北の陶磁史』
(共著 福島県立博物)
『鴫山萬古』(田島町教育委員会)
『田島町史』考古編
『下郷町史』考古編・通史
『伊南村史』考古編・通史。
『会津の良寛さま龍水如活禅師の生涯』
(南会津町教育委員会)
『龍水如活禅師資料集成Ⅱ』
(龍水如活顕彰会) 他多数
2020年3月からブログを開始
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