龍水如活禅師の生涯

 樋口弘一執筆  奥会津博物館編 2012・9出版 235p 図版20p

奥会津博物館の依頼を受けて執筆したものです。平成24年9月奥会津博物館で開催された特別企画展の展示図録でもあります。特別企画展開催期間中の9月30日には記念講演があり、開催期間中県内外の黄蘗宗僧侶の来館が多く、11月19日の龍水如活禅師の所属した京都宇治黄蘗山本山の塔頭 緑樹院の住職村瀬玄鼎氏はじめ5名による、中荒井の禅師墓前での読経には感激しました。

 


平成24年11月19日、中荒井の龍水如活禅師墓前読経。京都宇治黄蘗山本山の塔頭 緑樹院住職村瀬玄鼎氏、群馬県真福山寶林寺 海野宗弘氏、同県廣瀬昭憲氏、白河市龍興寺海野仁兆氏、栃木県水月院 戸矢剛浩氏によるものです。没後300年を経た今日、所属した緑樹院の住職による供養を受けるとは、泉下の禅師は夢にも思わなかったであろう。禅師の隠れた善行が報われた瞬間でした。上の写真をクリックすると、ユ-チュ-ブの動画が見られます。

昭和34年4月11日、福島市公会堂落成記念として東北東北区域郷土芸能大会が催され、会津を代表して田島祇園祭が出場しました。演出は室井康弘、総勢55人が七行器行列、御支度触、稚児行列、しゃんぎりを披露しました。この写真はその時のものです。         (父樋口敏雄藏)

この写真をクリックすると、この時のしゃんぎりの音声が視聴できます。

 

旧大和郡山藩主柳沢保甲(やすのぶ)へ旧会津藩主松平容保が宛てた明治25年の書簡です。5月11日付の容保の書簡には、保甲の日光東照宮宮司辞職を惜しむという内容が書かれており、容保の年譜には明治20年9月より26年12月に没するまで日光東照宮宮司を務めていたように記されていますが、実際には24年から25年5月までは保甲がこの職にあったことが明らかである。会津図書館の詳細な年譜では、この部分が空白となっているので、年譜改訂の唯一の史料である。